10月7日の講座
「地元の魅力を発見(6)赤いリンゴにくちびる寄せて♪仙台に眠る「リンゴの唄」」
講師
地元学応援団
佐々木伸さん
タピ大を始め、様々な場所で精力的に講演活動を行っている佐々木さん
タピ大では「地元の魅力」にスポットを当ててお話を頂いており、6回目となる今回は「リンゴの唄」と仙台との関係です。
リンゴの唄は1946年(昭和21年)に作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正 歌:並木路子にて発売された歌で
幅広い世代に今も愛されている名曲であり、曲自体は前年に公開された映画「そよかぜ」内では主題歌・挿入歌として初登場し、並木路子さんは主演としてご出演されました。
さて、このリンゴの唄ですが
劇中で歌われた歌詞と、レコードとして発売された物とで歌詞が異なるのはご存知でしょうか?
この辺りの謎を佐々木さんは独自の視点で分析をされており、その結果
・並木路子はミス仙台で有名な二葉あき子を慕っていた
・サトウハチローは良く仙台に来ており、サトウハチロー記念館は仙台が候補地だった
・万城目家は伊達家の家臣だった経歴があり、万城目正は仙台の龍雲院に眠っており、同院にはリンゴの唄発祥の地と言う看板もある
以上の事から、リンゴの唄は仙台の歌だったとお考えとの事。
戦後日本の復興ソングとして歴史に名を刻むリンゴの唄が仙台の歌と言う事であれば正に驚きです。
佐々木さんの分析結果にあった二葉あき子さんですが
「ミス仙台」を歌い“杜の都仙台”を定着させ、デビュー曲「この世の花」は万城目正さんの作曲
並木路子さん主演の映画「そよかぜ」では特別出演をされ
同じレコード会社である並木路子さんは二葉あき子さんを慕い、後継者を自覚されていたそうです。
作詞家のサトウハチローさんは1903年(明治36年)生まれ
作家である父とは幾度と無く反発し、1919年(大正5年)西条八十に師事し詩を発表
その後1945年(昭和20)年にリンゴの唄を発表
童謡「ちいさい秋見つけた」や、「うれしいひなまつり」
歌謡曲「ふたりは若い」や「悲しくてやりきれない」
等、今尚日本人の心に深く残る詩を数多く輩出しております。
作曲家の万城目正さんは1905年(明治38年)生まれ
1938年(昭和13年)「旅の夜風」を作曲、コロンビアの専属作曲者となり
1945年(昭和20年)「リンゴの唄」
1949年(昭和24年)美空ひばりのデビュー曲「悲しき口笛」
1955年(昭和30年)島倉千代子のデビュー曲「この世の花」
等を作曲
映画音楽では
1945年(昭和20年)「そよかぜ」
1949年(昭和24年)「別れのタンゴ」
1957年(昭和32年)「水戸黄門」
等を手掛けておりました。
戦後、焼け跡に流れたリンゴの唄は有名なお話ですが
仙台では、リンゴの唄は大人が歌う歌であり子供たちが歌う歌が無いという事で、「子供たちにも心の栄養を」と有志が立ち上がり、
1945年(昭和20年)に仙台放送児童合唱団が結成され
翌年にはNHKラジオ番組「東北うたの本が」放送を開始
その翌年1947年(昭和22年)には「全国児童唱歌コンクール」において日本初の「美しい頭声的発声」を実践されたそうです。
あの有名なリンゴの唄と、自分たちが暮らしている仙台
この2つがリンクした事に感動を覚えた今夜の講座でした。
佐々木さんありがとうございました。