2019年7月17日(水)の講座
テーマ:講談で知る日本の歴史(7) 名作「恩讐の彼方に」の虚実
講 師:アマチュア講談師(宝井講談修羅場塾生) 村田陸奥之介さん
講談を聞きながら、知られざる日本の歴史に触れるシリーズ。7回目となる今回は、菊池寛の名作「恩讐の彼方に」に注目し、感動のストーリーに隠された虚実を探っていきます。
講師を務める村田陸奥之介さんは、宝井派の講談師。「『まるで見てきたようなウソをつき』などといわれる講釈師ですが、火のないところに煙は立たない、話の中に真実が隠されています」。
まずは村田さんによる講談「青の洞門」を一席楽しみました。
講談「青の洞門」は、菊池寛の「恩讐の彼方に」を基に作られたといいます。
この「恩讐の彼方に」にもさらに元ネタがあり、現在の大分県の耶馬溪にある交通の難所にノミと槌で洞門を掘削したという僧侶の話が基になっているそう。
村田さんは、僧侶の史実と、小説「恩讐の彼方に」、講談「青の洞門」の3つを比較して異なる点を指摘。
特に菊池寛は、僧侶・禅海を強盗殺人の悪事を繰り返して来た極悪人に仕立てたり、かつての禅海に父を殺された実之助が敵を討とうとするところ、さらには禅海と実之助の和解など、ストーリーをよりドラマチックにするためふんだんに創作していたそう。しかし、この創作があったからこそ「恩讐の彼方に」が名作として世に残る要因になったと村田さんはいいます。
さらに講談「青の洞門」については、「恩讐の彼方に」で描かれた木曽山中での恐ろしい強盗殺人のシーンを描いていないことに触れ、「講談の場合、怪談以外は『めでたし、めでたし』とするのが基本。お話の最後で市九郎(=禅海)の姿に感激するためには、彼を極悪非道の人物像にできなかったのではないかと考えられます」。
また今は小学校の道徳のいくつかの教科書にも「青の洞門」が採用されているそうで、教育上さまざまな配慮から、「恩讐の彼方に」で描かれた禅海の過去の悪事には触れない教科書がほとんどのようです。
講座の後半では、村田さんが大分県の青の洞門を訪れた際に撮影した写真を見せてくれました。今は国道となり通行しやすいように広げられていますが、洞門の一部は観光用に昔のまま残されているそうです。
今回取り上げた「恩讐の彼方に」の作者である菊池寛は、小説家であるだけでなく、文藝春秋社を創設、そして芥川賞・直木賞を設立した人物。ちょうどこの日は今年の芥川賞・直木賞が発表され、なんともタイムリーなテーマとなりました。