6月17日の講座
「千利休が伝えた日本のお茶の歴史」
講師
郷土歴史研究家
長澤 信孝さん
今回はお茶と千利休についてお話を頂きました
日本人の生活になくてはならないお茶ですが、元々は日本には無かった物でインドや中国等、東南アジアから伝来された物と言われており、日本には遣唐使や留学僧として中国へ渡った人たちが持ち帰ったのが始まりで、当時は飲み物と言うよりは薬としてや宗教の行事としての側面が強かったそうです。
792年、聖武天皇の時代に行われた法要にお茶が使用されたと言う話があり、
平安時代に入ってからは伝教大師が茶の実を持ち帰り、今の滋賀県にその種を植えたと言う話が残っているそうです。
その後、京都の貴族や鎌倉の武士社会に伝わり、様々な茶道具が輸入された時代もあったそうです
室町時代を生きた村田珠光から端を発した茶道ですが、安土桃山時代には千利休により茶道は大成を成します。
千利休、本名は「田中 与四郎」と言い、若くから茶の湯を学び16歳の時には茶人として自分の茶会を行っていたそうです。
時は流れ、利休58歳の時に織田信長に招かれ茶道指南役となり、信長の没後は豊臣秀吉に仕え、2000石を与える程に秀吉は利休の人柄を好んでいましたが、政策上お茶を利用して武士や町民を自分の思うように操らんべく強かな部分もあったそうです。
そんな利休は、その後秀吉の怒りに触れ切腹を命じられましたが、何故そうなったかは今も不明との事。
茶道を一部の人間の物とせず、広く一般に広め日常生活に役立てようと尽力され
その結果、茶道は利休以来400年脈々と受け継がれ、日本文化の一つとして現代に受け継がれているそうです。
上記の織田信長・豊臣秀吉だけに限らず、伊達政宗公も茶道には興味・造詣が深く、秀吉が政宗を茶会に招いたと言う記録があるそうです。
その他にも、千家と仙台における茶道との関係等初めて聞く興味深い話も多々有り、1時間と言う時間があっという間に過ぎました。
日々の生活に当たり前の様にあるお茶ですが、その歴史を紐解いて行くととても歴史のある物だと知る事ができました。