2018年10月3日(水)の講座
テーマ:講談で知る日本の歴史④「日本在来馬の実力はいかに」
講 師:アマチュア講談師(宝井講談修羅場塾生) 村田陸奥之介さん
日本の伝統芸能である講談を通して、知られざる日本の歴史に触れる講座シリーズ。4回目となる今回は、日本の在来馬をテーマに、アマチュア講談師で宝井講談修羅場塾生の村田陸奥之介さんがお話しくださいました。
「講談は、まるで歴史をこの目で見てきたかのように話すものですから、歴史好きからは『講談師は嘘つきだ』などと煙たがられるんです。しかし、はるか昔の歴史を実際に見ている人はいません。何が本当でウソかはわからない。講談は、事実を少し大げさに話しているだけなんです」と村田さん。そこで、講談の中にどれほどの真実が含まれているか、検証していきました。
まずは、日本在来馬について学びました。
はるか昔から明治時代のころまで、国内の馬といえば、体の高さが120〜130cm程度のずんぐりむっくりの体型の在来馬。
現代の時代劇などでは、サラブレッドなどスラリと背の高い外来種を使っているため、私たちが思い描くドラマや映画のイメージと実際の歴史とではだいぶ違っているようです。
実際、日清・日露戦争のころは、小柄な在来馬にまたがって戦いに挑む日本人の姿を見た西洋人が、「ポニーに乗っている!」とバカにしたという話もあるとか。
講談でも、戦いの場面、つまり修羅場を扱った演目に馬が登場します。もちろんこれらの馬は、小柄な在来馬です。
例えば、平家物語で平家の船に掲げられた扇を那須与一が弓矢で射落とす場面。与一は馬に乗ったまま海の中に入っていくわけですが、よほど浅い海でない限り120cm程度の馬は足が浮いていたことになります。
また源平盛衰記の中で、誰が先陣を切るか決める勝負を描いた「宇治川の先陣」でも、馬に乗った武将2人が宇治川を渡りますが、流れの速い川を小柄な在来馬が渡れるか疑問だといいます。
講座では、在来馬の特性や現場の状況などから、これら講談で語られる話があながち間違っていないことを検証していきました。
平家物語や源平盛衰記などは、史実を元にしたフィクションのように思っていましたが、こうやって一つ一つ見ていくと、実はノンフィクションなのかも?と思えてきました。
途中、村田さんによる「宇治川の先陣」も披露。話の合間にさまざまな豆知識も飛び出し、ちょっと賢くなったような気分で1時間の講座が終了しました。