2017年7月19日(水)の講座テーマ:森敦と庄内、「われ逝くもののごとく」を巡る旅講 師:北四番丁バンド(ロックバンド)リーダー兼自作自演者 後藤 重雄さん本日は、後藤さんのお母様の故郷である山形県鶴岡市加茂を舞台に小説を描かれた芥川賞作家である、森敦の生涯についてお話ししていただきました。
森敦さんとは、1973年の下半期第70回芥川賞に、61歳という年齢で受賞した作家さんで、その高齢での受賞に、大変話題になった作家さんなのだそうです。
1912年に長崎市銀屋町で、漢学者の父と、日赤の看護婦の母との間に三男として生まれた森敦。
5歳で現在のソウルに移り住み、古今東西の思想書・文学作品と柔道に熱中した小・中学校時代を過ごし、その後一浪して進学した高校も入学翌年に退学し、ソウルから東京都世田谷区に転居したそうです。
ソウル在住中には、その後の森敦さんに大きな影響を与える作家の菊地寛や、横光利一と面識を得たそうです。
その横光利一の薦めで、1934年に「酩酊舟」という作品を東京日日新聞・大阪毎日新聞に断続的に連載し、この時期に太宰治や檀一雄らと知り合ったそうです。
翌年、ご縁あって奈良の東大寺にお世話になっていた森敦は、前田暘という女性と出会い将来を約束。
1941年という太平洋戦争が勃発した年に横光利一夫妻の媒酌で、前田暘と結婚。
1945年からは妻の故郷である山形県酒田市に移り住み、以後山形県庄内地方を転々としていったそうです。
1947年に師事していた横山利一が死去し、翌年「文学界」「横山利一追悼号」にて
「湖とまとり」を発表。
1966年頃からは東京都内に移り住み、印刷会社に勤務する傍ら、数々の短編を発表後、1973年に小説「月山」を発表。
翌年、同作品で第70回芥川賞受賞となりました。
その後、「月山」から引き継がれる話題が満載の『われ逝くもののごとく』を発表し、1987年、第40回野間文芸賞を受賞。
こちらの作品は、加茂だけでなく庄内地方を網羅している作品となっており、作品に出てくる地域や、また森敦の足跡を実際に巡った後藤さんのお写真なども交えながら、森敦にスポットを当てた、あっという間の1時間となりました。