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2017年 04月 25日
~地域の現代歴史講座~地図に見る!昭和期における塩釜,多賀城東部/仙台新港,七ヶ浜の変遷
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2017年4月25日(火)の講座テーマ:~地域の現代歴史講座~地図に見る!昭和期における塩釜,多賀城東部/仙台新港,七ヶ浜の変遷講 師:電子回路設計者/サンデープログラマ 吉澤 清さん本日は、塩釜、多賀城、仙台新港、七ヶ浜の移り変わりについて、お話ししていただきました。 まず塩釜ですが、元々地域全体の起伏が激しく、平らなところがほとんどないような地域だったそうです。 しかし、大正1年頃から入江が自然に埋まってきたか、あるいは埋め立てにより、塩釜神社の西側の平地が形成されていったそうです。また、この時期はお米の運搬として貞山運河が頻繁に使われていたそうです。 昭和8年頃になると、宮城県の主要港として塩釜港が整備され、浅い運河などが埋め立てられ、平地が続々と整備されていったそうです。 昭和21年頃には、国道45線が整備されたほか、東方本線の線路もそれまで内陸側にあったものが、塩釜に開通されたのもこの時期だったそうです。 そして昭和43年頃に、ほぼ今の塩釜に近い状態に整備されたそうです。 変わって多賀城は、地域の大半が仙台平野となっており、昭和8年に県内初の火力発電所が建てられたそうです。 続いて仙台新港ですが、1971年に仙台新港が開港され、これにより貞山運河が南北に分断されたそうです。 平成13年頃になると、住宅地として多くの家で密集されるようになり、現在に近い形になったそうです。 最後に七ヶ浜ですが、渚がある滑らかな地形で、昭和3年頃までは平地は全て田んぼだったそうです。昭和42年頃に、仙台火力発電所が建てられたほか、漁港の整備も少しづつ進んでいき、平成13年頃には大きな団地が築かれ、現在の七ヶ浜へと形成されていったそうです。 宮城県内という身近なエリアの移り変わりを、地図や写真を見ながら辿っていくことで、よりそれぞれの地域への興味関心の高まるような時間となりました。
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